発達特性のある方が社会で活躍するための、適切な支援方法とは何でしょうか。30年以上にわたり支援を続けながら、ライフスキル習得のための研究に取りくんでいるのが、早稲田大学教授の梅永雄二さんです。当事者や支援者に寄り添いながらも、適切に社会とつながっていくための「本当の支援」について、すばるコレクト運営の生田目康道が話を伺いました。(取材:2025年10月20日)
「治せなくても社会参加は可能」―ライフスキル研究の原点
生田目康道(以下、生田目):本日はお時間をいただき、ありがとうございます。今回は、発達特性をもつ方の18歳以降の生活/仕事/社会とのつながり方について、先生にお伺いしたいと思っております。
梅永雄二(以下、梅永):なるほど、そこに問題意識をおもちなのですね。私も長年、「成人期」の支援について取りくんできました。私は文学部を卒業後、特殊法人だった雇用促進事業団身障部、現在の高齢・障害・求職者雇用支援機構に就職しました。そこで発達特性をもつ方の就労支援に携わるなかで、特に知的障がいや自閉スペクトラム症(以下、ASD)を重複する方の支援に大きな課題を感じたのです。
生田目:当時はどのような課題があったのでしょうか。
梅永:身体障がい者の就労支援については、スロープをつけたり、トイレを改造したり、車椅子用の駐車場を作ったりと、環境調整で対応できました。視覚障がいの方なら点字ブロック、聴覚障がいの方なら手話通訳、字幕といった具合です。
しかし、知的障がいの方、特にASDを重複する方は、コミュニケーションの問題だけでなく、いわゆる問題行動も出てしまい、就職そのものが難しい状況でした。他者の髪の毛を引っ張ったり、唾を吐いたり、人を叩いたりといった行動は、当時は精神科の領域とされ、結局は入院という対応になっていました。その解決策を模索しているなか、アメリカではそういう障がいがある方も一般の方と一緒に働いているということを知り、どうすればそれが成り立つのか、ノウハウを学びたいと思いはじめたのです。

生田目:そこが、先生の取りくみの原点になるのですね。
梅永:はい、解決策の模索のため、まずは職場の休職制度を利用して筑波大学大学院に進学し、応用行動分析を学ぶことから始めました。ただ、大学院でも成人期支援を専門にしている先生はみつからず、医療/教育/心理とそれぞれの分野を学びましたが、就労支援とはうまく結びつかなかったのです。
そんなとき、児童精神科医の佐々木正美先生に、ノースカロライナ州立大学のTEACCHプログラム(編集部 注:ASDの人々を、生涯にわたって支援する包括的なプログラム。ASDの特性の理解、環境の構造化と視覚的なサポートにより、自立した生活を送るためのライフスキルを身につけることが目的)の存在を教えてもらい、1992年にアメリカへと視察に行きました。そこでは、ASDの方が実際に働いている姿を目にしたのですが、一般の方と同じように働くインクルーシブなかたちに衝撃を受け、アメリカの就労支援について学びました。
▲視察に訪れた際の様子(お写真は許可のもと使用)
生田目:アメリカのそういった状況には、一体どんな背景があったのでしょうか。
梅永:最初にASDということばができたのは、1943年と1944年に発表された論文からです。これは日本よりも約10年早い動きで、オーストリアの小児科医 ハンス・アスペルガー先生と、アメリカに移住した精神科医のレオ・カナー先生という2人の研究者が、ほぼ同時期に発表しました。その後は、州によって違いはありますが、大きくカリフォルニアとノースカロライナで2つの流れが誕生したのです。
UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)のオレ・イヴァ・ロバース先生は、行動療法で「ASDを治す」という立場。これは、「週40時間の集中的な訓練を繰り返し行えば治る」という考え方です。一方、ノースカロライナ大学チャペルヒル校のエリック・ショプラー先生は「ASDは治せないが、教育によって社会参加は可能だ」という考え方が基本でした。
生田目:先生は後者の考え方に共感されて、留学されたのですね。
梅永:はい。アメリカでは、「働く」ことは納税者として社会に貢献しているという意識が強く、「障がいがあってもアメリカに貢献すべきだ」という教育の結果、「支援付き自立」という考え方が確立されていました。ノースカロライナ大学の考え方は、100%の自立を求めるのではなく、「適切な支援があれば自立できる」という発想です。この考え方が、私のライフスキル研究の根幹になっています。












