発達特性と共に歩む方々のリアルな声を紹介する特別連載の第3回です。今回は、現在20代で、ライブ鑑賞やギター演奏、食べ歩きなどを楽しむ岩本 健吾(いわもと けんご)さんに、子どものころの体験やギターとの出会いなどについてお話を伺いました(取材:2025年11月15日)。
自分の特性が悔しくて泣いた過去もあった
子どものころは、月・水・金曜日は幼稚園、火・木曜日は地域療育センターに通っていました。その頃から急な変更が苦手で、予定が変わって混乱した気持ちをことばで伝えられず、駄々をこねたり、嫌がる態度をとったりしてしまい、親やまわりの人を困らせたことがありました。
小学1年生からは、特別支援学級を拠点にして、音楽と体育など一部の科目は通常学級の授業に参加していました。給食は、特別支援学級で週3回、通常学級で週2回食べていました。幼稚園と療育センターへ交互に通園した経験があったので、母から「幼稚園と療育センターみたいに、特別支援学級と通常学級に交互に行く感じだよ」と説明され、スケジュールがイメージできました。
母が私を特別支援学級に通わせることを決めた理由は、卒園前に「幼稚園と療育センター、どちらが通いやすい?」と聞いたら、私が「センター」と答えたことだったそうです。父は通常学級も考えていたようですが、母が地域療育センターの方に相談した際に「特別支援学級のほうがその人に応じた学習方法を取り入れやすい環境ですよ。健吾くんにとってわかりやすいほうが楽しく学校に通えると思います」とアドバイスされたことも、後押しとなったようです。
中学校は、住んでいた学区の学校には当時特別支援学級がなかったため、別の公立中学校へ越境通学しました。その中学校には、幼稚園に入園する以前から高校卒業までの16年間(保育部2年、就学部2年、学校部6年、青年部6年)、土曜日に活動していた地域訓練会※の先輩も通っていて、母は安心したようです。地域訓練会ではボランティアさんと電車の乗り方や切符の買い方なども学びました。今では自分で経路設計もできます。
※地域訓練会:岩本さんが暮らす地域にある、子どもの発達支援や保護者同士の情報交換・つながりづくりのための集まり。自治体の保健センターやボランティアのサポートを得ながら、保護者主体で運営されている。
また、そのほかには小学1年生から中学3年生まで、地域ケアプラザの場所を借りた自主活動にも9年間参加していました。

▲転職時に時間ができたことで、お母さんからゆっくり話を聞くなどして、幼少期の自分を振り返るよいきっかけとなったと笑顔で語った健吾さん。幼稚園や小学校でのスケジュールや授業内容についても詳しく教えてくれた
「なぜ自分だけ?」と悩み始めた思春期
自分の特性を初めて意識したのは中学1年生のときです。特別支援学級で、いろいろな小学校から集まった仲間と過ごすなかで、「なぜ自分は最初から特別支援学級だったんだろう?」と考えるようになりました。母に聞くと、「団体行動や人の話を聞くことが難しい場面があったので、ゆっくりでも一つひとつ理解し、自分の力にしてほしいから」と言われ、苦手なことがあるんだと自覚しました。
そのときは「自分はできることが少ないんだ」「なんでこうなってしまったんだろう」と悔しくて泣いたこともありました。とくに中学時代はそうした思いが強く、高校時代も友人とのコミュニケーションのつまずきから「障がいがあるからいけないんだ」と感じることもありました。
自分のために誰かが時間を割いてくれると、「相手の時間を奪っているのでは」と考えてあわててしまうことがあります。一方で、焦らないように意識すると今度はマイペースになりすぎて、相手を待たせてしまうこともあります。何かを優先すれば別のことがおろそかになり、散漫になってしまい、バランスを取るのが自分には難しいと感じています。これはまわりからの支援だけでは解決しにくいので、自分でどう調整し、どう克服していくかも大切なのだと思っています。












